こんにちは。小門造船です。
今日3月10日は、山口県が生んだ童謡詩人「金子みすゞ」の90回目の命日です。「私と小鳥と鈴と」や「こだまでしょうか」「大漁」など、26歳で自ら命を絶つまで、500余編の詩を綴ってきました。
みすゞは、捕鯨の村・仙崎に生まれ育ちました。彼女の実家はもともと本屋を営んでいました。
みすゞは、詩人・西條八十の童謡に感銘を受け、『私も書いてみたい!』と詩作を始めました。20歳になった時に投稿した詩が雑誌に掲載されるやいなや、その魅力が一気に注目を集めるようになったのです。
そして23歳になり、みすゞは下関のとある書店に勤める男性のもとに嫁ぎました。
しかし、今でいうDV夫だったこの男性、問題行動で仕事を辞めるわ、女遊びはするわ、さらに病気はうつすわ、その上、みすゞの詩作や詩作友人との交流まで禁じるなどして、理不尽にみすゞを追い詰めていきました。
おとなしいみすゞも、とうとう離婚を願い出ました。この時代のことですから、離婚は並大抵の決意ではできません。また当時の法律(旧民法)では「親権者は子と家を同じくする父」というのが原則でした。
みすゞと夫の間には女の子がいましたが、みすゞは母親宛の遺書の中で「お母さんの手元で育ててください」と書き遺し、毒を飲んで自殺をしました。みすゞの、最後の抵抗だったのでしょうか。
今、みすゞの詩はいろいろなメディアで目にすることができます。本やネット、また歌にもなっていて、目耳にする機会も多いと思います。
今日は、「星とたんぽぽ」という詩を紹介したいと思います。
自然とともに生き、小さな命を慈しむ思い、命なきものへの優しいまなざしを持っていたみすゞ。彼女の詩に触れると、健気で素直な心が蘇る気がします。
機会がありましたら、是非、みすゞの詩で癒されてください。
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